私は、5年生の時にアメリカに行ったのですが、日本が世界のどこにあるか知らない子供も多く、日本は知ってるけど、地図上のここ!と指を指すことができない。ということを目の当たりにしました。
アメリカでは日本はどこ?と聞かれて子供たちが、モンゴル指差したり、インド指したりしていて驚きました。
ただし、これは日本の子供にある国について聞いたとしても一定数同じ現象はおこりうるでしょう。
つまり、学力にばらつきがある、子供たちが集まる公立の教育機関においては、教科書の分厚さ、内容の濃密さと、子供の理解力は一致しないということです。
多民族国家のアメリカの特に多民族が多い地域にいてこんな状況ですから、単一民族国家(8割以上が同じ民族という意味で)の日本の子供が世界に対して無知である(悪い意味ではなく、まだ知らないという意味)のはある程度は仕方ないと感じます。
社会、理科の教科書がとてつもなく分厚く、内容も非常に高度でした。
が、ほぼその教科書を理解できている生徒はいないのでは?という状況でした。
小学校のある地域性(メキシコに近かったので英語を母国語としない子どもも多い公立の学校でした)もあるのか?と感じましたが、
先生同士の繋がりで、他の規模の大きな公立学校へも授業を受けに行く機会に恵まれましたが、あまり違いがなく、地域性というよりあまりに多民族すぎる状況では、社会や理科の内容をすべての子供たちが満遍なく理解できるように教科書を完璧に教えることは難しいんだろうなと感じました。
もちろん、これは日本も同じですが、子供たちが1年で理解するには日本の教科書の分量程度が適正ではないかと思います。
無知を無知のままで良しとするのではなく、自分の世界を広げるためにも、世界を知るためにも社会や地理、少なくとも日本の歴史(歴史問題は色々あるので割愛します)くらいは学校で学び、自宅でも最低限、宿題で復習しましょう。
親子で話すことでより一層子供の世界は広がります。
理科については、
家の前でみたあの虫はなんだ?とか、
なんで冬にスイカ食べられないの?とか、
おもちゃの電池、逆に入れたら動かない!とか
すべて理科の分野だということも分かりますよね。
宿題はその授業の確認と定着です。
そして、日々すごしていることに疑問をもつことがより子供の学力向上につながります。
「これは何?」
と言える環境をまず作っていくことが、自分ですすんで宿題に取り組めるこどもをつくる大きな第一歩といえるかと思います。